お仕立て→ボディ開発→立体裁断の時代へ
レジェンド 安達先生から
伺ったお話です
安達先生は日本で
初めての ボディ(人台)
トルソーの製作に携わられました
日本には
市販のお洋服が
販売されていなかったですよね
その頃 どのように
洋服を手に入れていたのか?
→全てお仕立てだったそうです
デザイナーが
デパートの売り場に
生地と雑誌を積んで待機
お客様がいらっしゃり
「このデザインを この生地で!」
→オーダー
→採寸
→仮縫い
→2週間後 納品
高度成長期
生地が24時間
工場で 作られるのに
洋服の製作は
大変 時間のかかるものでした
今まで沢山の
有名なデザイナーを育てられた
先生が青年だった頃
生地会社 社員で
過生産だった 生地を売る為に
特命を受け
キイヤさんと連携して
立体裁断のボディを
作る事になりました
それまで 日本には
「サイズ」という概念がなく
各お客様の肉体が基準
デザイナーは「原型」を使って
お客様の身体にあった
服をお作りしていたのです
寸法を当て込めば
美しい服を起こせる 原型
今でこそ
文化式原型 ドレメ式原型など
種類が絞られていますが
昔は各出版社ごとに
それぞれ 独自の原型を持ち
原型が沢山 存在していて
その操作法を知らなければ
その会社に就職する事が
出来なかったとか
何々原型の方がエライ
立体裁断の方がエライ
みたいな考えになってしまう方が
どうしても いらっしゃいますが
歴史的な背景を鑑みると
どれも それぞれ
研究されてきたもの
なんだなあと思います
よい所をよい風に
使っていきたいし
その違いやよさを比べる会をしたいね
という話を 先日勉強会でしていました
だからパタンナー試験が
ジャケットの製図をソラで引かせる
というレベルを ボーダーにしているのって
製図文化のそのような
背景があるんだろうなーと思います
歴史的な背景
という事なのではないでしょうか
まずアメリカにデザイナーとして
駐在していた大野順之助先生から
ウルフというボディを
送って頂き 検証されます
きっと 当時のアメリカ人と
日本人の体格は
違ったのではないでしょうか?
写真を見ると
かなりふくよかな体格です
そして 次なる問題
どの肉体にすれば良いのか?
「基準」を決めなければ
いけなかったのです
ここで言われている 基準=サイズです
なんか 分かりにくいかもしれませんね
人の肉体がなくても
24時間
洋服を作れるようにしたいのですね
最も人口の多い
且つ 美しいバランスの
人体の数値が必要だった訳です
それがあれば
そのトルソーで洋服を作って
なんなら 夜のうちに作って
朝日が昇ると共に
売れるじゃないですか 笑
そうすれば生地も
売れる訳じゃないですか
文化服装学院の 小池千枝先生が
唯一 「サイズ」というものを
持っておられて
沢山の女性が学ぶ 文化服装学院に
女性の肉体の情報が
保管されていたのでしょう
それを基準として作られたのが
9AR
JIS規格で承認された
「サイズ」になりました
こうして
ボディが出来た事で
立体裁断が拡大
海外のメソッドも
沢山入ってくるようになりました
こんな ワクワクする
歴史的背景を伺うと
先生の偉大さと共に
服飾界の流れや
いろんな 深い事を感じます
それぞれの 思いがあったんだなあーというか
今 アパレル社会背景などを
書いていて
やっぱり 繋がってくるので
完全にお伺いした お話になりますが(すみません)
ご紹介させて頂きました
今日のお話を踏まえて
東京キイヤの
座間工場や千駄ヶ谷工場を
見学させて頂いた
記事を読んでみて頂くと
感慨深いですよー
過去記事 どうぞご覧になってみてください😉
毎日のBLOGは スクロールで
最近の内容しか 見えないのですが
記事一覧から 過去記事も見られるので
もし良かったら読んでみて下さいませ
ではまた!★★★
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